私はこうして京大に落ちた Part1

2009年春、私の京都大学教育学部受験の結果は、不合格であった。

あの1年は一生懸命であった。がむしゃらであった。あれほどの姿勢で机に向かった日々は、向後の人生で一度もないだろう。文字通り「机にかじりつく」状態であった。

しかし、私は受験に落ちた。入学試験ではそれまでの過程など一切考慮されない。それまで机に向かった日々の積み重ねは、無残にも消え去った。

それでも、私はここに「京大不合格体験記」として、その始終をここに記そうと思う。私は受験には落ちた。しかし、浪人での1年間は非常に意味のある1年として、私の中に生きている。これは、強がりではない。

物語は、2008年春、現役時代の受験終了後から始まる―――――――――

 

0からのリスタート

 

現役受験合格校が0となり、浪人が余儀なくされた。

幸い私の高校は浪人率が50%ほどであった。落ちこぼれとみなされるどころか、妥協してMARCHいったやつらよりマシ、みたいな風潮はあり、浪人はしやすかったと思う。ただ私はMARCHすら合格していないので、あまり偉そうにしていられる身分ではなかった。

浪人しても予備校に通うつもりでいた。自分一人で勉強していたら途中で腐ってしまうと思ったし、何より予備校が好きだった。今では私も塾で授業する身になったが、代ゼミの講師の魅力には到底かなわないと思うし、代ゼミに限らず予備校教師は何かと尊敬している。

ということで、代ゼミに再び本科生として入塾を決めた。ちなみに現在代々木にあるタワーができたばかりで、その1期生である。 

 

浪人してから、国立大学に受験しようと決めた。
何故だかはっきりとした理由はないし、今思えば暴挙である。現役時代、たった3教科の受験でもかすりもせず落ちていったくせに、なぜ苦手な 数学まで増やすのか。はっきりと行きたい大学があったわけでもなかった。 

当時の心境を振り返るに、二つの理由があった。

一つは、私大受験するのに1年は長すぎると考えたからであった一年かけてまた3教科だけ勉強するなどつまらないと感じた。また、3教科だけだったらすぐに私立レベルだったらどこでも受かるだろうから、ハードルが低すぎてつまらないとも感じた。受験全滅してなにいってるんだこいつ、と思うだろうが、否定はできない。

もう一つは、現役で早慶に行っている奴らもいるのに、わざわざ一浪してそいつらに追いつこうとすることが恥と感じ た。どうせなら、やつらが届きもしなかった国立大学に行くのが、わざわざ浪人した甲斐もあったということになるだろう。そんなことを考えた。やはり私に とって受験は、周りからどう見られるのかが最も大切である。これが自分の中の芯にあるし、妥協して滑り止めを受けなかった理由でもある。

そんなわけで、国立をめざし、新たなスタートを切った。

 

4月。 

私は代ゼミの国公立文系コースに通うこととなった。外大、東北大、横国大、筑波大なんかを射程にしたコースであった。週に英語3コマ、数学3コ マ、国語3コマ、日本史2コマ、センター科目2コマほどだった。

しばらく授業を受け、私はあることを感じ始めた。
自分は周りよりできるのではないかということだ。

英語の授業では、生徒がさされ、答えさせるシステムであった。その中で、私は明らかに周囲よりも、正解を言い当てたと思う。私が当たり前のように思っていることを周りは知らないのだ。周りがさされて答えられなくても、私はほとんどが正答できた。そのうち、「みんな難しくてわからない問題は私に聞く」みたいなパターンが作られたほどだ。

受験で失敗した直後はかなり自信を失ってしまった。私は、勉強に向いてないんだなと、受験を半ば諦めていた時もあったほどだ。しかし、代ゼミの授業を受けていく中で、周囲よりも優れていることを感じ、徐々に自信を取り戻せた。

 

「もしかして、やっぱ俺ってできるやつなんじゃないか」

 

 

そんな感情がこみあげてきた。

 

そして5月。 浪人して最初の模試を受ける。

私の自信は、か―――――――

次回 私はこうして京大に落ちた Part2  飛翔

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