最後の最後まで精神論を。
「無駄な努力」という言葉があるように、努力が必ず実を結ぶとは限らない。受験記にも書いたように、私は浪人受験の末、センター試験のマークミスにより第一志望合格を逃した。人並みか、それ以上に努力して受験勉強してきた自負はあった。にも関わらずだ。
振り返れば、どれだけ頑張っても結果がついてこなかった経験はいくらでもある。中学高校時代の部活、高校時代の片思い、大学のサークル活動での夢。その当時はそれなりに頑張ったつもりであったが、どうしても結果はついてこなかった。
敗北の度に、「俺なにしているんだろう」、という無力感に苛まれた。人生には無数の勝負がある。いくら努力しても勝てないのであれば、何を苦しんでまで戦う必要があるのだろう。苦しいなかで、目標に向かって行くことの虚しさを感じたこともあった。
でも、本当はやっぱり勝ちたかった。
辛いのはわかっていたが、逃げることができなかった。たまらなく勝ちたいのだ。だから、負けじと勝負を挑んだ。
かなりの数を負けてきたが、実は、負けよりかははるかに少ないが、たまに勝てた。2割くらいの確率で勝てた。勝った時の底知れぬ喜びが、私をまた勝負に向かわせた。
勝負の中でわかったことがある。
自分よりも高いレベルの戦いに勝つためにはどうすればよいのか。それは結局、
努力すること
それにほかならないのである。勝負に対して、真摯に向かっていく。まっとうな努力をしていく。それしか手段はないと思っている。
どんな時だって頑張るしかできないのだ。受験だけじゃなく、人生の中で勝負はいくらでもある。それに対して、取れる行動は2つに1つ。やるか、やらぬか、である。
やらないことは、負けだ。勝てる可能性は0に等しい。負けたくなのであれば、やるしかない。やるしかないのである。
いま、センター試験を目の前にして、恐怖を感じるかもしれない。センター試験が終わった後、厳しい現実に直面するかもしれない。これ以上がんばっても仕方ないと思っているかもしれない。
でも、君がもし、それでも勝ちたいのであれば、やるしかないのだ。どんな境地であろうと、やるしかないのだ。とにかく前に進んでいく。努力する。いつなんどきだって、勝負に勝つには、やるしかないんだ。
負けるが勝ち、とか、いまは休みの時とか、そういう発想は高等戦術だ。勝負を見極め、そこが抜きどきだと判断した時にできる技だ。レベルが高い。
不安だ、とか、やっても無駄じゃないか、みたいな思考のときの停止は、ただの逃げだ。勝率を下げているだけだ。
勝ちたいのなら進もう。努力を重ねていく。どんなに負けたって、いつか勝てる。
努力をしたらからといって、必ず勝てるわけではない。
しかし、勝った奴は、すべからく努力している。
これが、真理である。
2014年度の受験生に贈る。必ずや勝ちを得られることを心より祈る。
コメント
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大学院で京大の教育学部へ、という考えもあったのではないでしょうか。
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>超落ちこぼれさん
コメントありがとうございます。
その考えはありました。
が、結局、進学か就職の選択で、当時は就職を選びました。京大へのあこがれは確かにありましたが、結局は早稲田に満足してしまい、その悔いは強くは残っておりませんでした。