私はこうして京大に落ちた Part13 ~エピローグ~

私はこうして京大に落ちた Part13 ~エピローグ~

IMG_20131215

センター試験は不本意な結果に終わったが、それで受験が終わったわけではない。
滑り止めに、何校か私立大学に出願をしていた。
出願校と、結果は以下のようなものであった。

【センター利用入試】

中央大学文学部――不合格
立教大学文学部――合格
明治大学政治経済学部――合格
明治大学法学部――合格
早稲田大学人間科学部――不合格

センター利用の結果は意外によいものであった。
なにせ、国語のマークミスによって、国語の点数はせいぜい200点中6、70点。
数学1Aの97点を合わせた4教科受験の結果が、かなり刺さったと考えられる。
3教科受験であった中央文学は落ちていることから、やはりマークミスは夢ではなかった。

【一般入試】

立教大学文学部――合格
上智大学総合人間学部教育学科――合格
早稲田大学文学部――合格
早稲田大学教育学部教育学科教育心理学専修――合格

私立大学の対策は、浪人時ほぼ行っていなかっただけに、この結果は意外なものであった。
早稲田の受かり方は絶妙なもので、国語は文・教育とも、4割台、
平均点をかなり下回ったものの、英語・日本史を8割台取得し、挽回した。

上智大学の合格は、受験中最もうれしかったのを覚えている。
合格発表がどこよりも早く、私の人生最初の大学受験合格校となった。

その瞬間は今でも忘れない。
緊張しながら、上智の合格発表システムに受験番号を入力し、結果の参照をクリック。
すると、桜吹雪のFlash画像とともに、合格の文字が。

思わず立ち上がり、両手でガッツポーズし、歓びに叫んだ。
パート先の母親に、涙ながらに電話し、「合格したよ」と報告。
「よかったね」と母。嬉しそうな母の声が、私を安堵させた。

それに対し、早稲田の合格発表は感慨のないものであった。
実は結果すら見ていない。
京大受験後であり、もはや完全に気が抜けきっていたし、受験そのものどうでもよくなっていた。

合格を知ったのは、入学書類などが入った分厚い封筒が家に送られてきてからだ。
その日の雨に打たれて、ぐしょぐしょになった封筒と「合格」と書かれた証書をみて、
「あー受かったんだ」と無感動なセリフを心のうちに吐いた。

そんな感じで、私の受験は幕を閉じた。

 

本当は、2浪して京大に再チャレンジするつもりであった。

私は京大合格に、手が届いていた。しかし、センターのあのつまらないミスで一気に崖を下った。
受け入れることができなかった。

進学校は早稲田大学教育学部に決めた。
現役時代の第一志望校であったし、一応志望の教育学部だ。
母や父は「お前が早稲田にいって誇らしい」と喜んだ。

しかし、両親との喜びとは裏腹に、私の心は悔しさとリベンジしたい気持ちでいっぱいであった。
「仮面浪人して、京大受験をしよう」
そう心に誓ったのであった。

 

しかし、その誓いが崩れたのは、一瞬であった。

入学式で出会った教育心理学専修の連中は、とても素敵な人格者であった。
ほとんどが現役合格のやつらであったが、私を見下すような態度は全くない。
「一緒にサークル見学行こうぜ!」と気さくに誘ってくれる。
高校時代はめっきり人となじめなかった私。その優しさに心折れかける。
彼らとは、卒業した今でもかなりの頻度で付き合いがある。

そしてダメ押しは、やはり女性。
教育心理学専修は、教育と冠するものの、その実態は心理学専攻。
女性率が高い。なんと男女比4:6。パラダイスだ。

私はある一人の女性に恋に落ちた。
チアリーディングサークルの容姿よし性格よしの女の子。
出会って1週間くらい、速攻で恋に落ちた。

浪人時代の恋はうやむやに散ってしまった。
今度こそはと、4月末週、出会って2週間でのスピードアタック!

そして返事を待つこと2週間。
受験の結果発表よりもはるかにドキドキしながら、彼女の答えを聞いた。
結果は・・・・・・OK!!!

私はこうしてまさにバラ色のキャンパスライフのスタートを切った。
私の人生を振り返っても、この入学したての4月ほど、楽しかった1ヵ月はなかったと思う。
心から、歓び、楽しみを感じた1月であった。

そんな中で、私の再受験への誓いは心から消え失せた。
消え失せただけでなく、私はこんなことを想っていた。

「神様ありがとう。私を早稲田に導いてくれて。早稲田に入れてよかった!」

 

とはいえ、京大不合格の悔しさが完全に消え去ったかというと、嘘である。

京都大学という言葉を聞くと、悔しさがこみ上げたし、
俺はこんなところにいるような人間じゃないと、もっとできると思ったりもした。

だから、早稲田にいる間は、絶対周りに負けないと誓った。
俺はお前らとは違う、もっと上なんだと証明するように。

勉強は頑張った。専修の主席となり、年40万円の返還不要の奨学金をもらった。
サークルも頑張った。演劇サークルでは代表になり、自身は同期の誰よりも良い舞台に立った。
バイトも頑張った。塾講師として、何人もの受験生を志望校へ導いた。
就活も頑張った。5社から内定を取り、今度こそは自分の行きたい進路に進むことができた。

周囲からは「京大落ちても、早稲田いけたからいいじゃん」と言われることもある。
それでも、本当のところ、早稲田を認められない、辛い時期もあった。
それは周りからすると贅沢な悩みかもしれないが、私にとっては深刻であった。

だからこそ頑張った。
その結果、私は満足することができる環境にへと自分を進め、
受験の悔しさを克服することができた。

自分自身の境遇を変えるのは、現存する環境でない。
不満があるなら、自分自身を満足できる状態へ動かしていくしかない。
その原動力は、自分自身の意思とそれを実現させる努力だ。

もちろん、周りの環境から得られたものは大きい。
早稲田には、たくさんの尊敬できる人間に出会うことができた。
それが私を大きく成長させたと思う。

また、私がしたいと思えることを、かなえさせてくれる環境があった。
私のわがままを許してくれた周囲の人間の優しさ、特に両親の支えは絶大なものであった。
周囲への感謝は尽きない。

私は、京大に落ちた。
それでも、私の大学4年間は不幸ではなかった。

私は今、システムエンジニアとして働いている。
東大京大出身の同期は、周囲から期待も高く、その期待に応える力を持っている。
そうした彼らに劣等感を感じることはある。

それでも、不満はない。
自分自身の夢に向かって努力し、自分自身の成長を楽しんでいる。
受験の失敗は、私を動かす糧となって、私を動かしている。

どこの大学に進むかは、とても大切だ。
しかし、それがすべてはない。
自分の身の置く環境にとどまらず、自分の幸せに向かって、
自分自身を絶えず動かし続けること。
それこそが広い視野で見たとき、最もプラスに働くことだと思う。

大学が、自分自身の幸せをすべて規定するのだろうか。
そんなことはないと私は思う。
人生のゴールは、もっと奥に、その先にある。

私は京大に落ちた。
それでも、あの机に食らいついた日々は私の原点である。
あの1年があったからこそ、今の自分がある。

これを読んでいる受験生たちは、おそらく今、志望校合格という自分の目標に向かって、
自分を動かしていこうとしている。
受験が終わった後も、絶えずその姿勢を保ち、自分の力で「人生の幸せ」を勝ち取ってほしい。

すべての受験生が納得のいく人生を歩めるよう、私は全力で応援したい。

私はこうして京大に落ちた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2013年12月15日
冬の寒空が見える横浜の社員寮にて

もっふぃー