変わるべきは教育者

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ちきりんさんのブログ、少し前のものだけど、刺さった。

「で、あなたが大学で学んだことで、今、いちばん役立っていることは何ですか?」って聞くと、

返ってくるのは、「それって授業料の対価として得られたものじゃないですよね?」みたいな答えが多い。

私も情けない限りだけど、こうストレートに聞かれてしまうと窮してしまう。果たして、私が喉から手が出るほど欲した大学進学は、自分の人生に何を残したのだろう。

もちろん何もしていないわけではないし、大学にいったからこそ、得られたと思うことはいくらでもある。経験に対して、費用対効果の尺度のみで図ることは難しい。個人的な経験を相対的に語ることは、競争主義の狭い見方だ。意味があることが全てだとは、思っていない。

ただ、多様な選択のなかで、大学進学のみが最適解という見方は、疑うべきである。情報化社会の中で、多様な人や知に出会うことが容易となっている時代なのだ。大学ばかりが正義であり、そうでない人は落ちぶれてしまう、そういうような風潮は、だんだんと是ではなくなっていると思う。

そうなってくると、何が正解なんだろうと、【自分なりの最適解】を求めることが要求される。このあたりは藤原和博氏がいっているような正解主義を是としない社会となってくる。

変わらねばならない、というと、子どもたちのあり方が変わらなくてはならないから、子どもたちだけが大変だね、となってしまうのは間違いであって、より努力すべきは、教え導く側の教師であり、教育者である。

教育者は自分の改めて、立場を考えなければならない。子どもたちに、そういう時代だから、考えて生きなさいと、頭ごなしに言い放つ、という投げやりな存在であってはならない。教育者として、どのように子どもたちを導いていくのか。子どもたちの道筋に最適解がないように、これにも最適解はない。だから考え無くてはならない。

教育者としては、非常にやりがいのある面白い事態だと思う。産業も巻き込んで、みなで教育問題を考えていけば良い。私も、その一助となる存在でありたいと心から思っている。

教育変革の時代である。

つらいときこそ、未来を妄想しよう

おしろ

受験も終盤戦だ。

辛い時期だ。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、という、義務感にかられている受験生も多いと思う。当然だ。一回り二回り上の志望校の受験を控えており、やらねばならぬことはいくらでもある。

目先の時間の少なさと、やらねばならぬことのギャップに、その途方もなさに、苦しくなってはないだろうか。受験が嫌になってしまってはいないだろうか。不安になるのは当然だが、それを糧に勉強しようとする、そのプロセスはあんまり良くないんじゃないかと思う。何が良くないかって、持続しないからだ。つまり、嫌になってしまうのではないかと。

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やる気とは、ポジティブ意欲から生まれるものだと思っている。

大学受験とは、ひとつの自己実現だ。ありたい姿に向かっていくことであると思う。ありたい姿ってのは、ポジティブなものだと思う。努力して、嫌なことなどしたくない。

君のありたい姿はなんだろうか。大学生活とはなんだろうか。きっと、君が描いた大学生活があるはずだ。それを、もう1度思い出してみよう。

ゼミ活動、サークル活動、バイト、キャンパスライフ、なんでもよい。きっと、君は自分のありたい姿があって、そこに憧れがあったからこそ、受験をという道を選んだに違いない。

受験勉強は辛いが、その先の大学生活はとてもよいものだ。そうに違いないんだ。

そんな想像ができると、何かやる気がでてこないだろうか。ワクワクしてこないだろうか。
辛いけど、やってやろう!と思えてこないだろうか。このワクワク感こそが、正しく、そして、理想のモチベーションであると思う。

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やることは変わらない。勉強をしなくてはいけない。でも、

 ・やらなきゃいけない → やる
 ・ありたい姿がある → やる

この2つだったら、下のほうがいい。持続性と集中力が違ってくるんだ。

なんか妄想とかしていると、「なにうかれているんだ!」「くだらない妄想してないで勉強しなきゃ」と思って、その妄想を止めてしまう人も多いと思うけど、止める必要はない。妄想して、うんと興奮して、そのままに机に向かったほうがいい。

終わりは近い。頑張れ受験生。妄想あるのみ。