2月になりました。
本格的な受験シーズンとなります。
私は無事卒論を終え、大学最後の授業とレポートも終わり、学生として最後の2ヵ月を迎えようとしてる。
4年前の今を振り返れば、私は受験生として机にかじりついていた。
浪人時代など昔のこと過ぎて、もはや異次元のことに感じる。
長かった。とても長く感じる。
これまで生きてきた中で、大学4年間は間違いなく最も密度の濃い充実した時間であった。
大学4年間を経た今感じることは、大学受験の結果など些細なものだということだ。
どこの大学に行くかがその個人の幸せを規定するわけではないし、私の周りにも東大京大落ち早稲田なんていくらでもいるけど、そいつらはそいつらで別段不幸そういうわけではない。
4年前の受験生時代は、偏差値が人格を決めると信じるほど学歴主義に染まり切っていた。
MARCH以下は受けないと決め込んでいたほどだ。
しかもその理由は、「バカといても知的レベルが違うから楽しくないだろうから」とぶっ飛んでいた。
実際のところ、やはりそんなことなくて、話していて合わないと感じるどころか、自分にはない経験をしていたり、それぞれに面白さがあり、時に人として負けているなと感じることすらある。
そうしているうちに、学歴というプロフィールはあくまでファッションであり、人の内面は関係ないものであると気づいた。当たり前なんだけど、受験時代には気付けなかった。個人の面白さ、素敵さを決めるのは、その個人であり、そいつがどうであるかだ。学力は一要因に過ぎない。
ところで、私は受験失敗したものの、当時早稲田なんて舐めきっていたから絶対周りには負けないという気概で入学した。学業では学科主席を取ったし、サークルやバイトも一生懸命にやって、それなりに悪くない結果を残した。就職活動も自分の望む進路に進むことができた。
大学時代は、高校までとは比較にならないほどさまざまな経験をしたし、たくさんの素敵な人と出会った。私は幸せ者であった。
大学受験後、絶望的な心境にあった私には想像できないほど充実した大学生活を過ごすことができた。
大学入試がゴールではないなんて当たり前なんだけど受験生のうちはなかなか気付けなかった。
大学では、高校生が想像している以上にさまざまな経験ができる。ほとんどが想定外である。
受験の結果により、想定した結果、想定した未来が得られなかったとしても、それをカバーしうるほどの経験をできるチャンスはいくらでもある。
そして、そのチャンスを肯定的なものとして得られるために、いつなんどきでも努力すること。
努力しないことにはポジティブな結果など得られない。結果の受け入れは、その結果から生じる事実がすべてではない。過程から得られるものの方が、将来的な広い視野で見たらよほど得るものが大きい。
頑張ったからこそ、すべてを肯定的に受け入れることができる。受験だって、私はそれなりに頑張ったからこそ肯定的に受け取れたし、そのあと努力を積み重ねたからこそ、トータルに肯定的になれる。
受験生活残りの期間できる限りの努力を積む。そしてそのあとも努力を重ね続けてほしい。
受験結果がゴールではなく、楽しい大学生活、幸せな人生を送りたいと思うのなら、なおさらである。
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