本当に「学歴はなくてもいい」のか?社会に出てから思う学歴の意味

 

 

 

【!?】平成生まれの6割「学歴はなくてもいい」 昭和生まれ「学歴は必要」 なぜなのか?

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僕の大学受験が終わってからはや9年経ってしまった。大学を出てから5年が経った。

その立場から「結局学歴社会ってどうなの?」についての私見を述べる。

 

 

大学にいた頃の学歴

大学のコミュニティ内で学歴を感じることはない。なぜなら基本的には同じ大学のやつしかいないからだ。当たり前だ。コンプレックスは別のところから生じる。見た目とか、コミュニティの中での地位とか彼女がいるとかいないとか。

 

 

就職活動における学歴

これはある。

求人で求められる資質とは基本的には、課題解決力だ。一部の特殊な業界を除いて、「大学で何を勉強したか?」などは問われず、「人生でどのような課題に遭い、解決をしてきたか?」が問われるものである。

企業は、本当は一人ひとりを見極めてしっかりみたい。ただ、100人の求人枠に多くて数万人の応募があったとき、とてもではないが、それだけの人数を時間をかけて一人ひとりみることはできない。「効率」の面から考えて、何かしらのフィルターをかけて、しっかり見たい人物とそうでない人物を選別したい、というのは、人事にかけられる費用と効果をみると、当然いきつく発想である。

「受験勉強やどの大学を卒業しようとしているか」、つまり、学歴は、人の課題解決力の特徴を表す一つのプロフィールである。出身地や血液型で見極めても、その人の課題解決力はわからない。企業が、大量の人材を採用する際、効率よく優秀な人材を獲得したいとき、学歴フィルターは有効な手段なのである。

 

 

私生活における学歴

私の出身大学は早稲田だが、親戚だろうが、合コンだろうが基本的なコミュニティで蔑まれるようなことはなく、やはり学歴信仰が強い日本であるから、褒められることが多い。上をみるとキリがないし、私は受験失敗した口なので手放しでは喜べないが、自己肯定感はやはり高まる。自信がつくのである

 

 

これからの学歴

少子高齢にむかっていく日本で、大量のひとを一括で採用するという向きから、個人をしっかりみて採用していく文化に転換していくと思う。テクノロジーの進歩によって、働くという概念が変わっていく可能性もあり、大きな価値観の転換が生まれる可能性もある。それによって、学歴というプロフィールの価値が今より低下していくことになると考えられる。ただ、学歴主義に育った人間がいきなりみんないなくなることもなく、また少子高齢化で人口の大半は学歴主義で育った人間のため、コミュニティにおける学歴の見かたは今後10年20年変わらないと思っている。

 

 

人生における学歴

捉え方は人それぞれだが、これまで書いてきた通り良いことが多い。結論としては、学歴はよいに越したことはない。

ただ、学歴が人生の幸せを定義づけるレベルで、それが絶対の価値であるかと言うとそうではない。東大出たって腐るやつはいる。自信のないやつだっている。

幸せを実現する力が大切だ。「自分の有りたい姿を定義し、それに実現する力」が大切になのである。

受験や大学受験はどうでもいいか、というとそうではない。学歴という結果だけに目を向けるのではなく、その過程である受験勉強や、大学での生活は、課題解決力の基礎だ。何の理由でもよいが、いきたい大学があるのであれば、その実現にむかって努力することは決して無駄にはならず、むしろそれこそが自分自信の価値になることを忘れてはいけない。

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