後悔をする、ということの意味

後楽園
2014/12 後楽園

後悔、という感情は、文字通り、あとから以前の行為を悔いる感情である。

個人的な経験としては、以前の行為時点で、全く頭になかったことを悔いることはない。全く頭になかったことは、そのあとの時点でも頭にはない。なんか出来なかったけど、相手が悪かったな、ということで諦めることができる。

後悔とは、それをやろうと、頭には一度浮かんだにも関わらず、やらなかったときだ。面倒で先延ばしにしたとか、そもそもやる時間がとれなかった、理由はあるだろう。一度はやるべきだ、と思っていたものの、何かしらの判断でやらなかった、その判断ミスに、私たちは悔いるのだ。

しかし、後悔があるからと言って、本当に行動が誤っていたとはいえない。

限られた時間の中で取捨選択は必須であり、異なった判断をしていれば、片方の選択は出来なかったことになる。二者択一、どちらをとれば、どちらかを捨てる。

これを乗り越えるには、後悔をしないためには、判断力を高め、間違えた選択をしない。あるいは、二者の両者を取る。つまり、全てやるしかない。

実際には、どちらとも難しい。判断力を向上は、先読みの技術であり、もちろん身につけたい技術だが、それは容易ではない。両方やる、でいく場合には、潤沢な時間と体力が必要。そもそも前提が異なる。

だから、限られた時間の中での二者択一は、後悔となる可能性はそこそこある。後悔をするな、とは言うが易しで、それはかなり難しいのである。

ただし、後悔の中で、回避可能なものがある。それは「やる」「やらない」の2択を迫られて、やらない、をとり失敗した場合の後悔である。「やらない」結果、他の行動をするならばよい。ただ、それをやらず、戦略的でない休息を取る、行動しない。それが怠けであると判断される場合。怠惰な行動を取った場合だ。

怠惰は、真面目な人間にとって最もの後悔だ。結果がでない原因は、怠惰である、となったらどうだ。情けないぜ。あとからやっておけば、となるのは、悔やんでも悔やみきれない。

だから、やろう。行動をしよう。センター試験まであと2週間だ。ネットサーフィンしている場合じゃないぜ。行動を天秤にかけろ。本当にやらないことに価値はあるのか、自分に問いかけるのだ。

結局、何が言いたいかというと、

 じゃあいつやるの?今でしょ!

である。

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