浪人が始まってから7月までの間は、だらだらと過ごしていた。
前回書いた通り、予備校生活は思っていた以上に楽しく、勉強に身の入らない時期が続いた。
予備校の授業は欠かさず出席していたが、勉強という勉強はその予習復習くらい。勉強時間は予備校の授業入れて1日5,6時間というところだろう。時期も時期であったし、まだ先は長いだろうと油断している部分もあった。
そんな実態とは裏腹に、成績は依然好調を維持できていた。
7月に模試があった。センター模試である。
英語が偏差値72.9、そして日本史が偏差値なんと80.1という、凄まじい値をたたき出した。
他教科は数学が相変わらず偏差値50を切る始末、国語は安定の偏差値65.9、倫理生物はなぜか偏差値50にアップ(このころはほぼ無勉)。
文系7教科で偏差値66.9、3教科は日本史のおかげで73.0を記録。
全国順位はついに全国70591人中 322位で3桁台の順位を記録。
判定は、さすがに国立はD,E判定であったが、慶應文学部、早稲田教育でA判定。慶應に至っては志望者全国1012人中9位。
現役第一志望の早稲田大学教育学部は、学部全体2400人中21位、教育心理学専修志望では1位であった。
ちなみに日本史は現役の受験終了からそんな勉強しておらず、予備校では論述の授業を受講していたので新たな知識を増やしたり復習はしたなかった。他の教科も、新たな知識を増やしたとか、大きな変化があったわけではない。
言うならば、現役の3月からほぼ学力レベルは変わっていない。
それでもこの成績である。
考えてみれば当たり前である。私は昨年1年、本番の入試に至るまで受験勉強をやりきっているのだ。それに対して、受験者の大半は、受験を始めたばかりの現役生。
まともに高3に受験勉強を始めたやつが、その以前にピークを経験した浪人生に勝てるはずがないのだ。
現役の時は、偏差値で悩むなといわれるが、まさにその通りだ。
偏差値が意味をなすのは、せいぜい年末のセンタープレくらいであろう。
早稲田、慶応の判定をみれば、私大はこのペースで勉強していけば余裕であろう。
苦労が多い、国立志望に転換したことは間違っていなかったと確信した。
夏を迎える前、私はいよいよ具体的な志望校について真剣に考えはじめた。
浪人当初の志望は筑波大学人間学類。
しかし、記述模試などでは大体全国1位。
もっと上を目指してよいのではないかと、目標としての物足りなさを感じていた。
すぐさま私の心は、東大京大に向かった。
男なら、やはり頂点を目指したくなるものなのである。
いくつかの項目に沿って検討し、考えた。
そして、第一志望校が、京都大学教育学部に決定するまでに、そうは時間がかからなかった。
なぜ京大教育か。
まず、純粋に教育学部を設置する大学で最も高名であり、偏差値が高かったこと。
私は大学で専門で学びたいのは教育学であった。その理由は別の機会で触れたいが、現役時代から変わらず、大学で教育を学びたいというのが私の想いだ。
京都大学は、「教育学部」と冠する学部の中で全国No.1であった。
東大でも教育を学ぶことができるであろうが、純粋に京大の方が教育に専念できる気がしたし、調べてみれば、京都大学の教育という学問での功績はかなりのものであり、十分であった。
また、ぶっちゃけた話、東大に比べ、合格難易度が低いということも大きな理由だ。
社会科の負担が低いということがかなり大きい。
東大は2次試験に日本史世界史地理から2教科選択しなければならず、さすがに余裕がないと感じた。
京大も、センターと2次試験の科目を変えなくてはならないという奇妙なルールが存在していたが、なぜか教育学部のみ適用されていなかった。つまり、私の志望する教育学部のみ社会1科目でOK。
私の志望したい教育学部のみ、社会科科目変更ルールが免除。
これは運命ではないのか。
そう感じ志望を決断した。
もう一つ大きな理由があった。
魔法先生ネギま!という漫画をご存じであろうか。
マガジンでつい1年前くらい(2012年現在)まで連載していた漫画で、魔法使いの先生が女子中学校の担任を務めるという、いかがわしいお色気ラブコメである。
高校時代にこの漫画から多大な影響を受けた。
筑波大学を志望した理由も、この漫画の舞台が学園都市であったからといっても過言ではない。
その中で近衛木乃香というキャラクターがいる。
黒髪の非常にキュートな女性であり、私のお気に入りであった。
いわゆる推しメンである。
ところで、この作品のPS2ゲーム『魔法先生ネギま! 1時間目 ~!~』はご存じであろうか。
プレイヤーは先生となり、生徒と仲良くなっていくシュミレーションゲームだ。いわゆるギャルゲーである。
知る人ぞ知る名作たるこのゲームには、これまた知る人ぞ知る初回限定盤があった。その特典は「キャラクターが自分に話しかけてくれるボイスCD」。
私はこのCDを夜寝る前に聞くのが日課であり、部活で疲れた後もいつもヘッドホンの奥の少女たちに癒されたものだ。
もちろん私の想い人、近衛木乃香氏のトラックも存在した。
さて、この近衛木乃香、実は、京都弁である。
彼女の京都弁こそが、私の生きる強さを与えた。
「はんなり」な彼女に、私はイチコロであった。
そんな私が、熱心な京都弁フェチになるのも、無理のない話だ。
もう、お分りだろうか。
私が京都大学を目指した理由を。
京都弁の女の子とお付き合いしたい。一緒にキャンパスライフを過ごしたい。
それこそが京大受験の真の目標である。
京都大学受験は避けられぬ運命(さだめ)であった。
そんなわけで、
京都大学に受かって名声を手に入れたいという野心
と、
京都弁の女の子とお付き合いをしたいという下心
により、私は京都大学を志望するという決断をした。
夏休み直前の7月。志望校が決まった。
ここから、私の本当の受験勉強が始まった。
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